貞操守るなんて綺麗事だけじゃないって話①
皆さん、避妊してますか。
なんてそんなことを言いたいわけじゃなくて、これはあくまでも私の価値観。誰かに何かを強要したい訳じゃないし、分かってほしい訳でもない。恋人が分かってくれればいいだけの話。他人は、こんな考えもあるって思ってくれるだけでいい。評価なんて大層なことは、望まない。
女子校生活三年間、恋人ゼロ。中学校時代はとっかえひっかえが似合うような私だったが、とっかえていたのは隣に置く異性であって、あれはきっと恋人なんて素敵なものではない。相手にとっても同じ。欲しいのは、恋人がいるというステータス。
要するに、男性経験ゼロのまま始めた大学生活。そしてその二日目、私は人生初めての一目惚れと、久しぶりの恋心を抱いた。その相手が、今の恋人である。
今時高校生でも経験している場合もあるなんて知らなかったし、付き合うことと身体の関係が=であることも知らなかった。恋人が出来て仲の良い先輩と話をするまで、知らなかった。
「付き合って一か月以内が大方なんじゃないかな」なんて言われたときには、もう一か月を迎えようとしていた。考えたこともなかった。そういうのは、もっと大人の話だと思っていた。何も知らなかった。誰も、教えてくれなかった。
ただでさえ、自分の体形にコンプレックスがある。いつも肌を隠すような服装をしているのも、それが故だ。恋人の前でなんて特に、コンプレックスは隠したい。絶対無理。無理無理、どう考えても無理。それが、当時の私の答えだった。
恋人やその友人が、付き合った当初から「嫌がることは絶対しない」と言っていた本当の意味を知った。だから、私は自分の気持ちを素直に話すことにした。
経験がないこと。出来れば避けたいこと。自分の体形がコンプレックスであること。
それが、当時の考え。恋人は、真っすぐに私を肯定してくれた。それだけが全てじゃない。だから、そんなに気に負わないでほしい、と。年上のその人が、本当に自分の恋人だと実感した瞬間だった。
それから、私は性行為について調べるようになった。いつ頃に経験することが多いのか、どれくらいの人が経験しているのか、そして、どんなリスクがあるのか。
避妊のためのコンドームの存在は勿論知っている。学校で習ったからだ。でも、実際のそれがどんなものかなんて想像もつかない。そもそも、どうやって使うものなのかも分からない。というか、その行為がどうやって成立するのかもよく分からない。何も、私は知らなかった。その事実が怖かった。いかに自分が世間知らずなのかを実感させられた。
時々、性教育についての話題をテレビで目にする。しかし、やはりテレビでは直接的な表現が避けられる故に、結局よく分からない。避妊に失敗して子どもが出来た学生カップル、そういった話題もよく目にする。どうして失敗するのか、そもそも避妊をしなかったという経緯については、どうしてしないのかが分からない。しないことにメリットがあるのだろうか。
というか、子どもが欲しい訳でもないのに、どうしてそんなに求めるのだろうか。なんのためなのだろうか。分からない。痛い、というのもよく聞くし、尚更不思議だ。そもそも、何故痛むのか。分からない。
そんな私の思考を覗けば、呆れる人が多数だろう。自分でも思う。本当に何も知らなかった、その無知がどれだけ怖いことか。疑問に感じていたからまだ良いものの、何も考えずに受け入れて何か起こってしまっては遅い。無知は本当に怖い。
性教育。他国がどうかは知らないが、日本では確実にほぼ無意味の物だ。私がまさにその証拠なのである。何も知らない。何も分からない。避妊が大切であること、自分の身体は自分で守ること。学校が教えてくれるのはそれくらいだ。その方法は、教えてくれない。本当に重要なのはそこなのに。
まあ、教育にケチを付けたい訳ではない。論点が逸れる。今回話したいのは、私の貞操観。もしかしたら誰も肯定してくれないかもしれない。でも、これが私の信念だから、曲げるつもりはない。
長くなりそうなので、続きはいずれ。
普通免許の卒業試験って落ちるんだって話
今日は弟の卒業検定。1月から通い始めて、結構早く卒業だなぁなんて思いながら送り出した。
家族共有の位置情報で弟の様子を見ながら、もう終わったっぽいね〜と母と話す。スーパーとドンキを回って家に帰ろうと、最後に立ち寄ったガソリンスタンド。明日はディズニーに行くから、レギュラー満タンで。
よし、帰ろうか。そうしてふと携帯を見た母。驚愕する母。開いた口が塞がらない母。
まさかと思った。
『縦列駐車の最後でポールに当たった。』
そのメッセージの送り主は弟。つまり、そう。そういうこと。卒検の話。うん。そっか。
弟は、昔から本番に弱いタイプだった。だから、本番に挑めること自体が珍しかった。と言うのも、中学生の頃の空手の試合では、前日の夜から高熱を出し欠場。高校1年のスキーの大会では、合宿中にインフルエンザになり棄権。高校3年のスキーの大会では、合宿中に胸を打ち、その影響で熱が出てコロナの疑惑と共に部活全体で棄権。笑えない。否、むしろ笑える。そういう子だった。
朝熱を出さなかっただけで、安心してはいけなかったのだ。その後、そう、本番中のアクシデントも考慮に入れておくべきだった。
結果発表まで残り30分。とりあえず家に帰り、買ってきた食料を片付け、昼食の用意。そろそろご飯にしようか〜。そういえば弟、どうだったんだろう。
そう思って位置情報を確認すると、そこに結果はあった。
帰宅中の弟。帰宅。卒業式は13:00から。1時間後。だが、帰宅。そういうこと。
「ただいま〜…。」
「早かったね!おかえり!!」
「ほとんど上手くいってたのに!!!」
落ちたことによる補習と、2度目の卒検のために、彼は10000円を失った。
彼の試練は続く。
こんにちは三月。ありがとう二月。
二月は春休みの前半だった。それまで朝は授業の時間に合わせて変則的に起きて、夜も次の日の授業に合わせて変則的に寝る。授業がなければ日付は平気でまたぐし、深夜も深夜みたいな時間までだらだらとしていたこともあった。
そんな生活を一新したのが春休み。正確には一月末からだけど。
朝は八時台に必ず起きて、夜は23時までに寝る。午前中は勉強して、午後も1,2時間くらいは少し勉強してから自分の時間。勉強時間以外はリビングで過ごして、家族との時間も大切にした。
そんな生活のおかげで、人間として認められているような気がした。まず、朝起きてカーテンを開ける瞬間のあの、「はい人間!!」みたいな瞬間がたまらない。朝日が眩しいみたいなありきたりで綺麗な表現で頭が埋め尽くされる瞬間。最高。
それから、母を仕事へ送り出す瞬間。仕事行きたくないとごねる母を元気づけて玄関まで見送る。そして迎える。この一連の流れが最高。
そして私は思う。もう一生、こんなに長い時間家族と過ごすことなんてないんだな、と。あと数年で大学を卒業し、上手くいけば数年のうちに結婚し、家を出ていく。期限が近付いている。
温かく優しい家族。私の自慢の家族。いつか結婚するなら父のような人と結婚したいし、両親のような夫婦になりたい。私と弟のような子供を育てたい。自惚れも大概にしろという声をひしひしと感じるが、屈強な精神で無視しよう。
そんな家族に恵まれ、一方で、そんな家族に依存して生きてきた。いつまでも独り立ちできない気がする。でも、それでもいいと思った。家族がいるんだから。同じ家に住んで、毎日顔を合わせることが出来るのだから。それは当たり前のことではない。とても恵まれていること。であるならば、それを限界まで享受したいと思う。
そんなこんなで、勉強とドラクエと銀魂によって埋められた私の2021年2月。家族以外と会わず、模範的な自粛生活をしていた2月。感染者数は下がっているものの、死者数はそんなに変わっていない。私たちの行動の何が正解で、何が間違いなのだろうか。
答えなんて誰にも分からないから、自分を納得させられる生活をするしかない。隣には祖母が住んでいて、毎日顔を合わせる。それなら、人と接触しないことが一番に決まっている。それが、私の答え。
3月で、大学二年生の私は終わる。4月になったら大学三年生の私になってしまう。周りは就活を始める頃だろう。私はどんな大学三年生になるのだろうか。大学にはどれくらい行けるだろか。遠隔授業の割合はどのくらいなのだろうか。一年以上ぶりに、大学の友だちに会えるのだろうか。
不安は尽きないが、考えていても仕方ない、と割り切れるような正確でないことは私が一番よく分かっている。だから考える。答えはないけど、考える。考えすぎだと言われようと、知ったこっちゃない。
総じて言えば、ドラクエも銀魂も、私の人生を豊かにしてくれているということ。家族を一つの場に集めてくれているということ。そんなコンテンツに頼りつつ、自己肯定感を下げないような3月にしよう。
花粉だけは滅んでくれ。
女子校出身大学で失敗した話
女子校とは言え、たったの三年間。六年間、九年間と年月を重ねた方々にとっては、ほんのこれしき、と思われるかも知れないが、たった三年。されど三年。
女子高に三年間楽しく通った私にとって、異性と同じ空間にいること自体が、どこか異世界のようだった。
そもそも私が女子校への進学を決意したのは、小学校中学校と、女友達がほとんどできなかったことが原因である。いわゆる女子っぽさからかけ離れ、十年近く空手を習いながら生活してきた私にとって、女の子は儚く遠い存在だった。
お洒落しない、メイクしない、髪は決まってツインテ―ル。おまけに好きなアイドルはももいろクローバーZ。男子に交じってラブライブにはまっていた私に、女子と共通の話題は少なかった。だからと言って男子と馬が合ったかと言われればそうでもないが、どちらかと言えば、男子の中に混ざって腕相撲をしていた方が楽しかった。
女友だちは固定の三人と、後は普通に話して楽しい数人。それ以外は、なんか敵みたいな。なんでか。私の態度がそんなに気に入らないか。という気分。
そんなこんなで女子校に進学し、夢のキラキラJKの日々が始まった。最初に仲良くなったのは、顔は可愛くてお洒落なのに、どこか残念なずぼら。次に仲良くなったのは、顔は可愛いのに異性に興味を示さない清楚系。次に仲良くなったのは、顔は可愛いのにスカートの中から体育着が丸見えの品のない座り方をする変人。
女友達が沢山出来た。個性あふれる、ゆかいな仲間たち、という表現がぴったりの面々。
見た目は女の子、中身はどこか残念な友だちに囲まれ楽しい毎日を送っていたが、恋バナをした記憶はほとんどない。ずぼらの恋愛の愚痴を聞くことはしょっちゅうだったが、甘い恋愛トークなんてかすりもしなかった。私の周りは、ずぼらを除いて恋愛に没頭する子はいなかった。
それが、私を異性から遠ざけた一つ目の理由。
中には、駅向こうの男子校に遊びに行く猛者も沢山いたが、私にはそれが出来なかったし、したいとも思わなかった。女だけの空間が、最高の居心地だった。
とは言え、結婚願望だけはご立派に人一倍強かったので、婚期を逃さないべく、私は共学への進学を決意した。
卒業式、それぞれが大学やその他の進路について前向きに話す。級友兼悪友たちとの最後の時間。私と話した友人は、全員が言った。
「はのとはちょろいんだから、変な男に騙されないようにね。」
これが、異性を遠ざけた二つ目の理由。
必要以上に警戒し、警戒心をむき出しにし、大学生活をスタートさせてしまった。女友達はすぐに出来た。みな素敵な子たちで、つくづく恵まれていると思う。一方で、初めてクラスの異性と話をするまでにかかった時間、なんと四か月。何をしているんだか。
英語を学んでいる私は、クラス全員と英語で楽しくコミュニケーションを取った。英語なら、男女関係なく会話が弾んだ。積極的に話題を振ることが出来た。ところが、チャイムが私を現実に引き戻す。一気にネジが締まり、口も締まり、表情も締まった。不愛想で不機嫌な女が出来上がるまでの時間、およそ三秒。
おかげで悪い男には捕まらずに済んだが、男友達は出来ないまま一年、そして二年を終えた。一体何をしたら、ここまで警戒できるのだろうか。異性に何か恨みでもあるのだろうか。私は柳生久兵衛なのだろうか。
つづく(のか?)
普通の幸せ
たまには私の言葉で、私のことを話そう。
私は、普通の家庭で、普通の高校を出て、普通の大学に通って、普通に生活している。普通。それを憂いだことはない。
将来の夢はお嫁さん。そんなことを言ってウケを狙ったこともあった。本心を、ネタにした。普通が迫害される世の中で、私は普通を目指したい。
性的マイノリティ、外国人、発達障害、世の中には多数の"少数派"が存在している。少数派が生きやすい世の中に変わってきている。ユニバーサルデザインも普及して、学校では制服も選べるようになった。全ての国民が安心して過ごせる社会。なんて綺麗で素敵な世界なのだろう。
素敵な側面だけだったなら、どんなに良かっただろうか。
「彼氏いるの?」が嫌煙される理由は分かる。理に適っている。一方で、「結婚しないの?」が嫌煙される理由には納得しかねる。結婚するかしないかは、個人の自由だ。最早既婚が多数派とも言えない世の中で、結婚したいかしたくないかの二択を問う質問。
"しないの?"という、結婚を前提にした表現がまずいのかも知れない。だが「結婚願望ある?」と変えたところで、一部からの非難は免れないであろう。どう言ったって、「誰もが結婚したいと思うな」とか、「結婚が幸せの全てじゃない」と言われるところまではっきり見える。
私の将来の夢はお嫁さん。結婚したい。早く結婚して、子どもを二人位産んで、出来れば祖母にひ孫を見せてあげたい。
そんな平凡な将来の希望すら、正面から言えなくなってしまった。
少数派に気を配るあまり、多数派が迫害されつつある。全ての人、とうたっておきながら、そこには、"全ての少数派"が包含されていたのだ。多数派は、少数派に遠慮しながら、少数派に配慮しながら、話したいことも正面から話せない。何を言うにも、ポリティカルコレクトのフィルターを通さなくてはならない。
私だって、全ての人、に入りたいのにな。
だから、私は普通を求める。平凡を追究する。誰がなんと言おうと、それが私の幸せだ。私が求める希望だ。
私が何を求めたって構わないでしょう。それが自由。同性を愛するのも、異性を愛するのも、子どもを欲しがるのも、主婦になりたいのも。今時他人を批判するなんて、流行らない。認め合い、受容することの方がずっと求められている。
私は全てを受容したいし、全ての人の味方でありたい。いろんな形の幸せ、その内の一つを実現することで、人々が幸せを求める希望になりたい。
自分の思い描く幸せを、誰もが実現できる世界。私が、あなたを受容して、応援します。一緒に幸せになりましょう。
(危ない勧誘みたいになってしまった)
先生!どうして学校にメイクは駄目なの?
はてなちゃんそれはね。
メイクなんかなくても、あなたの素顔が一番素敵だからだよ!
待ってよ先生、それじゃ答えになってないよ!!
すみません、真面目にやります。
そもそも、学校にメイクをしてはいけない、という狭い範囲で考えるんじゃなくて、もっと根底に注目してほしい。
結論から言います。なんで学校にメイクしてきちゃいけないかって言うと、メイクしてきちゃいけないっていう校則だからです。
みんなが学校に来ているのは、勉強するためだけじゃない。学生の本分は学問だって言うけど、そもそも学生って正確には大学生のことで、はてなちゃんたち高校生は「生徒」だからね。
勿論、学校生活で中心に据えられているのは授業。だけど、学校の教育活動って授業だけじゃない。例えば、休み時間の過ごし方、昼休みの食事のマナー、よりよい人間関係、信頼関係の構築。難しく言おうとするともっと沢山あるけど、今回関係してるのはこれ。
ルールを守る習慣の定着。
学校には沢山のルールがある。その中の一つに、メイク禁止、がある訳だよね。要は、メイクが駄目なんじゃなくて、メイク禁止というルールを破ることが駄目なの。
例えば、メイク禁止というルールを守ってるはてなちゃんのクラスに、そのルールを破ってる子がいたらどう思う?ズルいとか、なんであの子だけ、とか思うよね?問題はそこなの。ルールを守らない子が集団の中に一人いるだけで、集団の雰囲気が悪くなる。雰囲気が悪くなると、人間関係がギスギスしたり、ルールを破る連鎖が生まれたり、いじめに発展したり。授業どころじゃなくなるの。
隣町のハテナ高校はさ、メイクもピアスも禁止って言うルールないよね。だけど、学校の雰囲気は良くて学業の調子も良い。先生と生徒とで信頼関係が出来てて、授業だけじゃなく学校行事も成功するような、素敵な学校。
メイクもピアスもしてる子がいるけど、その子たちはルールを破ってない。加えて、それ以外のルールを破っている子もいない。だから、そういう結果が付いてくる。
うちの学校も、すごく雰囲気良くて生活しやすい環境で、みんな仲良くて文化祭なんかすごく盛り上がるよね。それって、はてなちゃんを始め、みんながちゃんとルールを守ってるから。ルールの中で、楽しく学校生活を送っているからなんだよ。
みんなの努力のおかげ。ありがとう。
これだから、私はこの学校が大好きだし、この学校の生徒が大好きなんだ。
だからこれからも、楽しい学校生活を素敵な素顔を持ってるみんなが送れるように、協力してほしいな。