普通の幸せ

 たまには私の言葉で、私のことを話そう。

 

 私は、普通の家庭で、普通の高校を出て、普通の大学に通って、普通に生活している。普通。それを憂いだことはない。

 

 将来の夢はお嫁さん。そんなことを言ってウケを狙ったこともあった。本心を、ネタにした。普通が迫害される世の中で、私は普通を目指したい。

 

 性的マイノリティ、外国人、発達障害、世の中には多数の"少数派"が存在している。少数派が生きやすい世の中に変わってきている。ユニバーサルデザインも普及して、学校では制服も選べるようになった。全ての国民が安心して過ごせる社会。なんて綺麗で素敵な世界なのだろう。

 

 素敵な側面だけだったなら、どんなに良かっただろうか。

 

 「彼氏いるの?」が嫌煙される理由は分かる。理に適っている。一方で、「結婚しないの?」が嫌煙される理由には納得しかねる。結婚するかしないかは、個人の自由だ。最早既婚が多数派とも言えない世の中で、結婚したいかしたくないかの二択を問う質問。
 "しないの?"という、結婚を前提にした表現がまずいのかも知れない。だが「結婚願望ある?」と変えたところで、一部からの非難は免れないであろう。どう言ったって、「誰もが結婚したいと思うな」とか、「結婚が幸せの全てじゃない」と言われるところまではっきり見える。

 

 私の将来の夢はお嫁さん。結婚したい。早く結婚して、子どもを二人位産んで、出来れば祖母にひ孫を見せてあげたい。

 そんな平凡な将来の希望すら、正面から言えなくなってしまった。

 

 少数派に気を配るあまり、多数派が迫害されつつある。全ての人、とうたっておきながら、そこには、"全ての少数派"が包含されていたのだ。多数派は、少数派に遠慮しながら、少数派に配慮しながら、話したいことも正面から話せない。何を言うにも、ポリティカルコレクトのフィルターを通さなくてはならない。

 

 私だって、全ての人、に入りたいのにな。

 

 だから、私は普通を求める。平凡を追究する。誰がなんと言おうと、それが私の幸せだ。私が求める希望だ。


 私が何を求めたって構わないでしょう。それが自由。同性を愛するのも、異性を愛するのも、子どもを欲しがるのも、主婦になりたいのも。今時他人を批判するなんて、流行らない。認め合い、受容することの方がずっと求められている。

 

 私は全てを受容したいし、全ての人の味方でありたい。いろんな形の幸せ、その内の一つを実現することで、人々が幸せを求める希望になりたい。

 

 自分の思い描く幸せを、誰もが実現できる世界。私が、あなたを受容して、応援します。一緒に幸せになりましょう。

 

 

 

 (危ない勧誘みたいになってしまった)